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一橋大学合格体験記①―千葉大目指して一直線


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終わった。

受験が、ではない。高校野球がだ。

ぼくは小・中・高と野球をやっていた。「死ぬほど全力で」とは言わないけど、自分なりには頑張っていた。結果もそこそこに出たが、最後の夏は1回戦負けだった。

何かが終わるときは何かが始まる。ぼくの受験勉強が始まった。

ぼくの将来の夢は「中学校の先生」になることだった。

かねてから中学校の先生に憧れていた。「どうして?」と聞かれると明確に理由はない。ただ、中学校の時の先生が楽しそうに働いていて、かつ好きな野球が続けられるということで、漠然と先生を目指していたのだと思う。

教科は特にこだわりはなかった。数学が得意で理科が苦手だったぼくは高校1年生の終わりに文系理系の選択に悩んだ。今でもそうだが悩んだときはコインに聞くようにしている。コインは「文系だ」といった。ぼくは文系を選んだ、「社会の先生だな」。それくらい教科についてはどうでもよかった。

1年生のときは横浜国立大学を目指していた。「横浜」に憧れていたのと、OGの眞鍋かをりが大好きだったからだ。横浜国立大学教育人間科学部を出て中学校の先生、完璧なルートだった。と、思った。

いわゆる「横浜詐欺」に気付くのはそれから4年後だった。

東京学芸大学にも憧れた。名前がカッコイイのと、やはり優木まおみが好きだったからだ。この「OB・OGの有名人で大学を選ぶ癖」は最後まで抜けなかった。詳しくはあとで。

2年生のときはすこぶる成績が悪かった。学年260人のうちで230番台になったこともあった。1年の最初のテストは数学は学年1位だったこともあるから、すごい落ちっぷりだ。野球とゲームしかしていなかったと思う。パワポケにハマっていた。この時に自分の中で横浜国立大学と東京学芸大学は消えていた。そんなレベルではなかったのだ。

そんなこともあって、いつしか模試の第一志望校は「千葉大学」になっていた。横浜国立大学とそんなに偏差値は変わらないような気がするが、「千葉大の方が簡単だろ」と思っていたんだろう。夢よりも現実をとる、つまらない高校生だった。

2年時の勉強がやばすぎて、3年4月から代ゼミのサテラインに通い始めていた。成績は徐々に上がっていったがそれは「代ゼミに通ったから」ではなく、単に「勉強時間が増えたから」だ。この頃から勉強は「センター対策」に絞っていた。

そうでなければ千葉大なんて到底無理だと思っていた。幸い、2次試験は「小論文」だった。センターさえできれば受かると、思っていた。

野球部の活動が終わり、まずは7月末の河合塾のマーク試験があった。あんまり出来はよくなかったがC判定だった。それまではD判定しか記憶になかったから、思ったよりもよかった。第2志望はなぜか長崎大学だった。修学旅行で訪れた長崎にゾッコンになっていたからだろう。長崎大学は既にA判定だった。この「長崎大学A判定」は度々誘惑となった。

それからというもの、代ゼミの講座を消化しつつ、ほとんどの勉強時間を「センター対策」に費やした。可能な限りのマーク試験を受験し、点数も徐々に伸びていった。

そんなこんなでB判定、A判定と判定は上がっていった。千葉大以下しか見ていなかったので、数学も「1A・2B」ではなく「1・2」で受験することにしていた。

はじめて解いた模試では6割も行かなかった少年が、11月には75%を出すようになるのだから受験勉強は面白い。センター対策以外勉強しないという「選択と集中」が功を奏していた。

英単語はわからないけど、センター英語なら解ける。ぼくの体はセンター試験に順応していくのであった。

千葉大学教育学部には「推薦入試」というのがある。学校に推薦をもらい、面接一本の試験がある。それに通れば、受験はほとんど終わりなのだ。

ぼくは学校にお願いして推薦入試を受けることにした。

なぜか周りの友達は「受かるかもしれない」というムードを出していた。

「いいなあ、もう受験終わるのか」とも言われた。これは「指定校推薦」ではない。けど、ぼくも「もしかしたら」と思っちゃったりしていた。ああ痛い奴である。

ぼくは高校生活のラストをひたすら「千葉大学合格」に捧げていたのだ。