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あべらじ!

大学生が運営するブログ。

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一橋大学合格体験記②―千葉大学不合格体験記①

受験勉強

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11月上旬、推薦入試を受けることになり、驚愕した。

千葉大学教育学部で、ぼくの志望する学科の倍率は10倍を超えていた。終わった、受かる気がまるでしない。

面接一発で10倍を捌くことができるのか?と思ったが、それ以上に自分の面接が不安だった。

就職活動をしている今だからわかることだが、「志望動機」がスッカスカだった。「なぜ教師になるのか?」「なぜ千葉大学なのか?」「なぜこの学科なのか?」。あまりにも基本的な部分がスッカスカだったのだ。今だから言えるがこれで受かろうとする方が難しい。

勝機など、まるでなかった。

そんなこともわからないままに、推薦入試に臨んだ。2部構成で小論文と小論文をもとにした面接であった。待合室に受験生が全員待機し、6人ほどでテーブルを囲んだのも覚えている。その6人がめっちゃ面白かった。しかも女の子1人がかなりのタイプであった。可愛かった。待合室が盛り上がりすぎて「うるさい!」と怒られたのも覚えている。本当に楽しいメンバーだった。同じ学科になると思うと、ドキドキワクワクは年中無休という感じだった。

「この6人で殺し合いをするのか」と思っていた。もちろん、倍率は10倍だから全員死ぬ可能性もある。1人ずつ面接に呼ばれ、面接室から直接帰る構成となっていた。そのため、面接が近づくごとに1人ずつ減っていくのも寂しかったし、待ち人数が1人ずつ減るのは緊張した。

電子機器を開けなかったので、連絡先の交換はできなかった。そこが悔やまれる部分である。面白い人たちだった。

驚いたし絶望的だったのが、面接のために「紙芝居」を作ってきた人もいた。「紙芝居が重要か」はどうでもよくて、「そこまで準備してくる」というのが重要だ。ぼくはそんな準備、してなかった。ぼくに勝機はなかった。

面接の中身は覚えていないが、お互いスッカスカだったのは覚えている。「お互い」だ。適当な雑談して帰った。落ちたのも普通に見当つく。後日結果が出たが言うまでもないだろう。

ぼくはさっさと、センター試験対策に戻った。

そして、その後もいくつかマーク模試を受験した。

マーク模試対策に集中していたのが功を奏し、結果がついてきた。千葉大学の判定は!判定を取り続けた。代ゼミと河合塾のを受験していたが、どちらもA判定だった。

面白かったのが「数学1」と「数学2」の偏差値。1A・2Bと違い、「本当に数学ができない人」しか受験していないため、それだけでのぼくの偏差値は90を超えていた。ちなみに70点とかでもその偏差値が出た。数学1A・2Bも入れると落ち着くが。

立教大学文学部のセンター利用もB判定とまずまずだった。プランとしては「センター利用で立教大学を抑え、それ以降は早稲田大学受験と千葉大学の小論文に集中する」というものだった。悪くない。

ちなみにこの時期の楽しみとして、「模試の受験会場は都内の大学にする」というのがあった。ぼくは千葉県民だったので、1時間半かけて都内の大学で受験するなんてこともあった。朝早いのがつらかったが、東洋大学の先進的なキャンパスや、立教大学の赤レンガのキャンパスは新鮮で、気分転換になった。

立教大学にあったクリスマスツリーは綺麗だった。キリストの大学にはこんなのがあるのかー大学生はこれ見てイチャイチャするのかーいいなーとか思ってた。ぼくには恋人がいなかった。

マーク模試はたくさん受験した。半年で河合塾3回、代ゼミ2回、東進1回、駿台1回受けた。場数を踏むごとに緊張感は薄れた。試験の形態も一緒なので、かなり練習にもなった。駿台の問題は難しかった。今でも何でも場数は重要だと思う。

時が経つごとにセンター試験の過去問の点数は上がっていく。センター試験対策に集中しているから、コツも見出してくる。260人いる学年で200番台をとってたぼくも、マーク模試なら学内で10番以内(国立文系は50人くらい)になっていた。仕上がりは順調だった。

進路面談も学校であって、担任の先生も「仕上がりは順調だね★」という感じだった。私立大学は早稲田と立教と法政、国立後期は埼玉大学に出願する手はずとなっていった。

完璧とはいかないが、満足いく結果に終わるだろうと思い、淡々と準備を続けていった。

そして、年が明けた。